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安全(『心的外傷と回復』より) [2001 千葉大学3年]

☆殴り殴られる関係においては、加害者の誓約による安全の保障はありえない。いかに心を打つような宣言であってでも。それは被害者の自己防衛能力に基づくものでなければならない。被害者が現実的・具体的な危機対処計画うぃ作成し、それを実行に移せる力があることを証明するまでは、被害者は虐待をくり返される危険があるので決して油断できない。
・・・日本人ってこういう面には弱いよね。情に弱いって言いますか。親に返してしまって、虐待死とかも招いているし。アメリカでは虐待教育プログラムみたいなのがあるけど、そういうのも勉強するべきかなぁ。虐待してる親に対して何らかの策をとらないと、児童福祉の問題は決着つかないだろうね。

☆自分の意志で何かを始める力、自分の判断力を活用する力は、虐待を反復されているうちに摩滅しているが、それを実際に使えるようになると、有能感・自己評価・自由(不束縛)感が強化される。さらに、治療者への信頼感も少しずつ伸びはじめる。
・・・たぶん、普通に育てられてたら何にも気にしないような一言でも、児相に来てる子どもにとっては嬉しいんだろうね。上手くやり取りをして、こういった力を取り戻す手助けをしたいものです。

☆基本的安心感と自己管理とを確立する過程において患者に求められるのは、行動を計画し、自分のイニシアティブで開始し、自分の最善の判断力を活用することである。
・・・児相の子はいろんなことに対して他人任せのところがあるかも。さらに、他人に流されるし。同じ子でも、一緒にいる子が違うだけで雰囲気が変わる時もあるし。自分の意志とか判断力を意識させる声かけとかも重要ですね。

☆一般論としては、みんなの方に向き直るようにと励ますべきではあるが、<君が信頼できる人を選んで良いのだよ>という保証をしっかり与えるように気をつけなくてはならない。

・・・夜間指導員の多様性はここの記述のためにあるのではないかと思う。きくちん先生が好きな子と、ひろくん先生が好きな子と選択できることってすごいと思う。学級担任は選べないし。こういう点ではうちの児相では画一性を求められないからいいね。それなりに自由にやらせてもらっているし。まぁ、たまにそこがキツイと感じられる時もあるけど。

☆被害者とそれ以外の人たちとの関係は、安全を確立して両極端の間を揺れる傾向がある。いつでも人々に囲まれていようとし、また完全に独りになろうとする。

・・・児相の子どもも、確かにベタベタしてくる面と、卑屈になる面の両方を持っている。確かに人と一緒にいるって安心感があるかもしれないけど、オレ的には付き合いが多ければ多いほど、人から裏切られそうで怖いなぁ。完全に独りの方が安全だと思うのはオレだけでしょうか??まぁ、寂しいことは寂しいんだけどね。
 


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