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児童虐待の要素(『心的外傷と回復』より) [2001 千葉大学3年]

『虐待的環境』
被虐待児は、自分を無視し虐待する者への病的愛着を起こしやすい。さらには、自分の幸福、自分の現実、自分の生命の犠牲をも厭わずにこの愛着関係を失うまいとする。

・・・ある日、上下ジャージで金髪の女子中学生に、丸坊主の幼稚園児がついてまわった。彼は一ヵ月近く相談所にいただろうか。きっと、彼女達にお母さんを重ねてしまったんだろう。どんなお母さんだったかは容易に想像がつく。それにしても、どうしてそんなにお母さんを好きでいられるのだろう。かなりの虐待を受けていたはずなのに。父親が虐待していた場合と、母親が虐待をしていた場合を比べた場合に、やはり母親に対する愛着の方が強いのではないだろうか?私は、子育てにおいて母性(母親の力)が圧倒的に優位であり、必要不可欠なものだと思う。なのにもったいないよなぁ。せっかく子どもがよって来てくれるのに、自分から追い払うなんて。

『被虐待児の発達論的課題』

身体の自在性を発達させなければならないのに、その環境は自分の身体が他者の欲求にほしいままにゆだねられている。

・・・思いっきり抜き書きしてるからイマイチだけど、虐待されているから他のことまで考える余裕なんかないってことなんだと思う。当たり前だよね。1日24時間、ずーっと生きるか死ぬかなんだもん。我々には考えられないけど。導かれる結論は、3/4の『基本的信頼』の欠如と同じことだと思う。

『ダブルセルフ』

被虐待児は、葛藤解決の言語的・社会的スキルを欠いていることが少なくない。

・・・これは、本当にこの通りです。ハイ。わかる人にはわかるけど、半端じゃないです。素直に自分の気持ちを言えないとか、気に入らないことがあると逃げちゃうとか。しかも、それがおさまるまで時間がかかるからやっかいなんだよね。この本を読んで何に一番感動したかと言うと、こういう「当たり前」が偉い先生によって文章化(言語化)されてるってこと。これで、我々が考えていることがすべて意味を持つことができるから。ひとりよがりとかじゃなくね。

『対人認識』

被虐待児は、慰藉と快感の外的な資源に依存するようになる。確実な独立感覚を育てることができない被虐待児は、絶望的に誰でも構わず依存する相手を探し求める。初対面の人間にもすぐ愛着してしまう反面、あれだけいじめる親たちにしつこくしがみついたりもする。

・・・本当にこの通りだね。マラソン大会にトンズラこくヤツもいるし。付き合い始めて2〜3日で「結婚する!」って騒いでるし。そこまで大きくなくても、独占欲が高いのはいつものことです。気にしてもらおうと悪いことするし。観察実習に行った時も、教室に入って2〜3分で施設で生活してるっていう子がどの子かわかったし。わかった上でそのベタベタに付き合うか、そのような親密さから上手く逃げるか。いつも指導員どうしで話になるとこなんだよね。オレは、ベタベタに付き合いたい方です。せめて相談所にいる間くらいは。(これが問題だっていう噂もある。)

『過覚醒』

虐待的環境にいる児童は、攻撃を予告するサインを四周くまなくスキャンする法外な能力を発達させる。

・・・児相に来た子どもが、オレからフッと逃げる時がある。肩をポンとたたこうとした時とか。「オレは何もしないってば!!」って思うんだけど、逃げるんだなぁ。切なくなります。「何も危害を加えない大人がいる」ってことを悟ってもらうのが第一歩。けど、これが難しいんだよね。慣れてくれた時の笑顔がうれしい。

『虐待の起こる家庭』

虐待の起こる家庭は社会的に孤立している。虐待者が虐待を秘密にし、家族を支配し続けるために孤立を強要する。さらに、被虐待児は家族からも孤立する。自分を守ってくれるはずの存在に守ってもらえなくなる。

・・・得意分野!?ってね。日本は親権意識が強いんだよね。んで、法律ができても家の中で起こっていることには介入できなかったりする。近所付き合いとかがあれば、多少はその家で何が起こっているのかがわかるのかもしれないけど、それもないからねぇ。孤立してる家庭に入るってことは確かにタブーだからね。今頭の中にあるイメージである「家族教育学」という分野を目指します。

『虐待の連鎖』

虐待の連鎖はほとんど起こらない。自分がされた悲しい経験を子どもにはさせないように努力する。

・・・「虐待の連鎖」っていう言葉が成り立たないってことはそうなのかもしれない。けど、今まであったような対人関係の障害とかが自分の子どもに対してそれが出ないのかなって思う。直接的な虐待はなくても、子どもとの関係が上手くとれなかったりして、結果として養育拒否とかもあり得ると思うし。ここらへんは吟味が必要かなと思います。

『成人すると・・・』

被虐待児は、大人になれば自由になれるという希望にしがみついている。だが、虐待環境で形成された人格は、成人社会への適応を阻害する。自己管理・認知と記憶・自己規定・安定した人間関係をつくり出す力の欠陥などがこれに当たる。

・・・ 大人になって切れるような関係は親子じゃない。良くも悪くも。けど、虐待してる親は自分の老後とかはどう考えてるんだろう??やっぱ、ドラマみたいに子どもにたかるのかな??まぁ、堅実に老後のことなんかを考えられたら、子どもに虐待なんかしないか。一回、直接聞いてみたいものです。

『成人すると・・・2』

被虐待児は、他人を虐待するよりも虐待される側にまわる、あるいは自分を傷つけるようになる確率が高い。
被虐待者との相関・・・自殺する確率<大> 殺人を犯す確率<小> 被虐待男性<他者への攻撃性が上がる> 被虐待女性<他者の暴力の犠牲になる、自分を傷つける>

・・・見にくくなったけど、虐待との相関はこんな感じらしいです。多分、被虐待女性の「他者の暴力の犠牲になる」っていうのは、脆弱な人間関係から裏切られたり、性的な暴力を受けやすくなるってことだと思います。ずる賢い男は女性のもろさを利用するんだろうね。けど、継母とか継父とかでも幸せに暮らしてる家族もいるはずなんだよね。でも最近のメディアの報道からだと、「虐待したのは再婚したせいだ」っていう方向に持って行くのが常套手段だもんね。やっぱり、虐待する親は「この人と結婚する」っていう見極めが甘いのかもね。15歳年下の旦那なんていうのは一見しんじらんないし。なんか「若きゃいいのか??」って聞きたくなるし。結婚とかに肝心な経済的背景とか生活能力とかを見極める力がが欠如してるんだろうね。一時の愛情が先行してるっていうか。K岡さんは「責任ってことを考える力がない」って言ってたけど、このことかな。責任かぁ。オレが言いたいこととはちょっと違うけど、裏から表現すると同じなんだろうね。黒岡さんとはいつもそうだ。以上です。横浜の中3の女の子が放火した事件についてのコメントになります。
PS・・授業で先生が言ってたんだけど、「男は狼」って言うのは失礼だって。狼はメスが嫌がってたらちゃんとやめるんだって。確かに人間は高度な生物なんだけど、一番醜い生物かもしれない。

『成人すると・・・3』

被虐待児は「知覚・記憶・感情・経験」を統合することができない。これは、自己の内的イメージ(自分がどんな人間かというイメージ)の分裂を引き起こして、アイデンティティの不成立につながる。

・・・アイデンティティかぁ。普通に暮らしてる我々でさえ、そんなものがあるかどうかわかんないからなぁ。けど、児相の子も極度に他人に流されることが多いかも。頭に入れておく必要があるかも。


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