とらわれているもの [2001 千葉大学3年]
『日本社会の審判者』
欧米のうつ病の患者が口にする、自分のことを裁く「他者」は「神」であり「罪」の意識である。日本人のうつ病の患者が口にする、自分のことを裁く「他者」は「家族・職場・近隣への過剰な配慮」、言い換えると「恥」の感覚である。
・・・なるほど。日本には宗教がないことも特徴だと前から思ってた(みんなそれくらいわかってるか)。けど、宗教が無いことの利点って何かないのかな?「神」って目に見えないから振り切るのは難しいからいつもそれに縛られてなきゃダメな感じがするけど、「家族・職場・近隣への過剰な配慮」は、例えば隠れ家を作ったりすればある程度は逃げられたりするかもしれないし、宗教的なレベルなんかとは比べられないくらい低いレベルでそれらから逃げ出すことが可能な感じがする。で、昨日分の書き込みに戻ると、「他人の目」から抜け出した人が化粧とかするんだろうと思う。(抜け出すなんていう意識もないのかもしれないけど。)けど、「神」がメインだと他人の目なんて気にならないのかも。もちろん違う文化の下で生活してたら違う規範を持っていて当然だけど。わかんなくなってきたからこれでやめます。
2001-03-01 22:48
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