今日読んだtweet [2014 教員12年目(現職派遣・修士1年目)]
gtk229813RT @nono0005: 電車内で 子供と会話もしないで突っ立ってるだけで、退屈した子供が動き回って悪さすると「じっとしてなさい!」って怒るだけの親と、窓から見える景色に「あれなに?何が見える?」って話しかけて子供が悪さする隙も与えない親が目の前に一組ずついる。こういう違いな…07/01 17:28 gtk229813RT @bilderberg54: ノリピーや飛鳥のように使い古された芸能人はこのように麻薬漬けになり、政治報道隠しに利用される。そういう惨めさが嫌で例の放送作家は政治家になったんだろうな。07/01 17:29 gtk229813つか、何でこの人が総理なんだ?07/01 18:03 gtk229813海外紛争とやらで、日本人がそんなに頻繁に危険な目にあったのか?07/01 18:08 gtk229813「批判を恐れず」っていうなら、国民の意見をちゃんと聞けよ。しっかり調査してさ。07/01 18:09 gtk229813ダメだ、安倍さんの顔を見るだけでイラつくようになってきてる(^_^;) 07/01 18:13 gtk229813RT @TOHRU_HIRANO: 情報によりますと、官邸前で集団的自衛権に抗議する国民が、昨夜から、あまりにも多すぎて、警察官は「こんなに国民が怒って、押しよせて抗議行動なんて、警察学校で、シュミレーションしてないよ」という表情で、ビビって、すごい数の警察官を導入してるとの事…07/01 18:13 gtk229813RT @kawazoemakoto: 閣議決定で、こんな無茶なことが決められるなら、新しい内閣で、「このあいだの閣議決定はなかったことにします」と決めるのは簡単だろ?今日の閣議決定は立憲主義に反しているのだから、立憲主義に立ち戻るだけの話で、いたって単純明快。新しい政府をつくる…07/01 18:18 gtk229813久々に長文を書いてみました。今日、附属中で学部生の授業を見た感想です。「附属中という存在意義/母校の存在意義 http://t.co/eBH8U72Nor」07/01 18:45 gtk229813RT @tart_k: ウソ吐きシンゾー http://t.co/W2konstch707/01 18:47 gtk229813RT @symphonicity: 【募集】教員採用試験は面接と論作文が重要。いろんな人と語り合い学び合うことで、自らの教育観を形成しよう!東京・渋谷に開校!西麻布のオシャレな自習室も完備。 ”teachers college” 東京校開校!1期生18名募集中! http://…07/01 18:47 gtk229813RT @hoshinot: 安倍首相会見。「『集団的自衛権が、現行憲法の基で認められるのか』。そうした抽象的、観念的な理論ではございません。現実的に起こりえる事態において、国民の命と平和な暮らしを守るため、現行憲法の基で何をなすべきかという議論であります」。大変違和感を覚える言…07/01 20:50 gtk229813RT @tamamushi2: 英文ライティングの前に、日本語での自由作文ができないといけません。そこで『はじめよう、ロジカル・ライティング』を読み始めました。http://t.co/yoYLbqNyis ひつじ書房さん、こういう本をしっかり出し続けて下さい。次の企画へのヒント…07/01 21:26 gtk229813閉店間際のスシローはダメだ。見た目がグダグダすぎる。そんなに早く帰って欲しいのか。07/01 21:30 gtk229813RT @TOHRU_HIRANO: 今の状況。 ① 3.11大震災の復興も「補償金をけちって」被災者を救済できていない。② 人類史上最悪な原発事故で、どこまで核燃料が溶け落ちてるのかも知らんよ状態。③ 汚染水対策も「凍らないで失敗」という最悪な事態をWサッカー中に発表。 ④ 焼…07/01 21:36 gtk229813RT @minorucchu: 閣議決定後の18時に安倍首相会見。抽象的な美辞麗句をちりばめた、中身のない会見だった。集団的自衛権容認という大転換を閣議決定した直後の会見にしては緊張感もない。記者クラブの二番目の質問はなんと日朝協議だった。愕然とした。07/01 22:10
附属中という存在意義 / 母校の存在意義 [2014 教員12年目(現職派遣・修士1年目)]
今日の午前中は附属中に張り付きでした。
学部の「教育法」の授業を履修している学生たちが附属中で授業をしました。
それを教授の指示通りにビデオで撮りました。いろいろ考えさせられました。
今通っている大学は(残念ながら学部時代と同じ大学ではありません)教員養成系ですが教員採用試験受験率が低くて文科省から怒られているレベルの学校です(←「合格率」ではない。そもそも受けないらしい)
もちろん地元の採用試験の合格率が相当低いので、受験を敬遠する気持ちもわかるのですが、それだけでは無いような気がしてきました。
教員養成系の学校は、どこも基本附属学校で教育実習をするのでしょうが、私はラッキーなことに千葉市内の協力校で小学校実習、地元の母校で中学校実習ができたので、かなり恵まれていたと思います。
この前、授業の時に教授から「どうすれば教員採用試験を受けるようになると思う?」と聞かれて、「附属での教育実習をやめれば上がると思います」と即答しました。今日、それが違った意味で補強された気がしました。ライバルの私立大学が近くにあるんです。そっちは母校実習だから、普通に勤務していてもたまに実習生が来るんです。で、その私立は採用試験合格率を上げるのに学校をあげて全力を出しているから、実習にも相当準備しているように感じるわけです(最近特に)。今日の学部生の授業は変則的なルールだったせいもあるかもしれないけど、ちょっとドンマイなことが多すぎでした。それを見て、「去年持った実習生は最初から結構できたけどなぁ」とさらに思うと共に、メチャメチャ違和感があったのです。そこを書きます。
<母校実習をしている私立との比較>
1:指導の多様性(善し悪しはあるかもしれないけど)
2:実習後に集まる情報量の差
3:心情面での成長
附属中の英語科の教員3人で20人弱の実習生を回すパターンと、県内外の中学校に散らして、各学校の担当の先生に指導を受けるパターン。いろんな学校があって、いろんな先生がいるから、当たり外れが出るのは間違いない。でも、外れも含めて、持ち帰った経験談やそれぞれの指導下で考えた指導案・アクティビティを全部まとめて次年度に渡すだけでも相当な武器になるはず。
その視点を持った上で附属中を考えてみる。たとえ附属中に県下トップ3の英語科教員がそろっていたとしても、私立の情報量に勝てるとは私は思えない。教員のタマゴたちに必要なことは、授業における多様性を示すことであり、それを選択したり追試したりする自由さではないかと思う。同級生が3グループに分けられ、その下で3通りの指導を受けたとしても、広がる可能性は限られているのは明白である。マネする素材すら与えられず「やってみろ」と言われるのは酷だと思う。このご時世に「英語科」教員になりたいと思っているだけで応援したくなる。ベストな状況を提供したいものである。
教育実習開始の前日、クラスの生徒たちに「最終日に絶対に泣かせること」という指示を私は出す。実習期間中、生徒たちは彼らなりに実習生と関係をとり、最終日への準備をする。最後の授業は「つながり」の力があるとそれなりに上手くいくし、最終日は生徒も実習生もガンガン泣いて終わる。実習生のためではなく、クラスの生徒たちにとっても自分自身やクラス全体を成長させる大きなチャンスである。実習生も「教員になって、このつながりを自分で作りたい」って思うと思う。これがオレの教育実習観。
附属中。一クラスに3〜4人?いい意味では「実習慣れ」しているかもしれない。でも、今日の数時間ですら「大人をなめてる」言動がやはりあったのが気になる。「こんなの何の意味がある?」「大学生じゃなくて○○先生でいいのに」等、声に出して平気で言う。挨拶も返さない。やっぱ試験を受けて入ってるとか、県で一番とか、いろんな選民思想でもあるのかな。悲しくなった。
「君の親は社長だったり、医者だったりするかもしれないけど、君が将来同じレベルまで到達できるのかは別問題」
そう叫びたくなった。確かに県で一番の高校に一番たくさん入るのかもしれない。でも「高校ではあまり伸びない。高校で伸びるのは、田舎から来た普通の生活をしてきた子」と、その高校で勤めている友だちが言っていた。なんかまとまらないから終わるかな。
まとめ:附属学校のメリットを再考しないと、見下している私立に足下すくわれますよ。子どもとのつながりを感じさせられない実習では、教員採用試験受験率はいつまでたっても減る一方ですよ。せっかくの教育学部なんだからプライドを持とう。先輩教員として、彼らにできるだけのことをしよう。
おわり
学部の「教育法」の授業を履修している学生たちが附属中で授業をしました。
それを教授の指示通りにビデオで撮りました。いろいろ考えさせられました。
今通っている大学は(残念ながら学部時代と同じ大学ではありません)教員養成系ですが教員採用試験受験率が低くて文科省から怒られているレベルの学校です(←「合格率」ではない。そもそも受けないらしい)
もちろん地元の採用試験の合格率が相当低いので、受験を敬遠する気持ちもわかるのですが、それだけでは無いような気がしてきました。
教員養成系の学校は、どこも基本附属学校で教育実習をするのでしょうが、私はラッキーなことに千葉市内の協力校で小学校実習、地元の母校で中学校実習ができたので、かなり恵まれていたと思います。
この前、授業の時に教授から「どうすれば教員採用試験を受けるようになると思う?」と聞かれて、「附属での教育実習をやめれば上がると思います」と即答しました。今日、それが違った意味で補強された気がしました。ライバルの私立大学が近くにあるんです。そっちは母校実習だから、普通に勤務していてもたまに実習生が来るんです。で、その私立は採用試験合格率を上げるのに学校をあげて全力を出しているから、実習にも相当準備しているように感じるわけです(最近特に)。今日の学部生の授業は変則的なルールだったせいもあるかもしれないけど、ちょっとドンマイなことが多すぎでした。それを見て、「去年持った実習生は最初から結構できたけどなぁ」とさらに思うと共に、メチャメチャ違和感があったのです。そこを書きます。
<母校実習をしている私立との比較>
1:指導の多様性(善し悪しはあるかもしれないけど)
2:実習後に集まる情報量の差
3:心情面での成長
附属中の英語科の教員3人で20人弱の実習生を回すパターンと、県内外の中学校に散らして、各学校の担当の先生に指導を受けるパターン。いろんな学校があって、いろんな先生がいるから、当たり外れが出るのは間違いない。でも、外れも含めて、持ち帰った経験談やそれぞれの指導下で考えた指導案・アクティビティを全部まとめて次年度に渡すだけでも相当な武器になるはず。
その視点を持った上で附属中を考えてみる。たとえ附属中に県下トップ3の英語科教員がそろっていたとしても、私立の情報量に勝てるとは私は思えない。教員のタマゴたちに必要なことは、授業における多様性を示すことであり、それを選択したり追試したりする自由さではないかと思う。同級生が3グループに分けられ、その下で3通りの指導を受けたとしても、広がる可能性は限られているのは明白である。マネする素材すら与えられず「やってみろ」と言われるのは酷だと思う。このご時世に「英語科」教員になりたいと思っているだけで応援したくなる。ベストな状況を提供したいものである。
教育実習開始の前日、クラスの生徒たちに「最終日に絶対に泣かせること」という指示を私は出す。実習期間中、生徒たちは彼らなりに実習生と関係をとり、最終日への準備をする。最後の授業は「つながり」の力があるとそれなりに上手くいくし、最終日は生徒も実習生もガンガン泣いて終わる。実習生のためではなく、クラスの生徒たちにとっても自分自身やクラス全体を成長させる大きなチャンスである。実習生も「教員になって、このつながりを自分で作りたい」って思うと思う。これがオレの教育実習観。
附属中。一クラスに3〜4人?いい意味では「実習慣れ」しているかもしれない。でも、今日の数時間ですら「大人をなめてる」言動がやはりあったのが気になる。「こんなの何の意味がある?」「大学生じゃなくて○○先生でいいのに」等、声に出して平気で言う。挨拶も返さない。やっぱ試験を受けて入ってるとか、県で一番とか、いろんな選民思想でもあるのかな。悲しくなった。
「君の親は社長だったり、医者だったりするかもしれないけど、君が将来同じレベルまで到達できるのかは別問題」
そう叫びたくなった。確かに県で一番の高校に一番たくさん入るのかもしれない。でも「高校ではあまり伸びない。高校で伸びるのは、田舎から来た普通の生活をしてきた子」と、その高校で勤めている友だちが言っていた。なんかまとまらないから終わるかな。
まとめ:附属学校のメリットを再考しないと、見下している私立に足下すくわれますよ。子どもとのつながりを感じさせられない実習では、教員採用試験受験率はいつまでたっても減る一方ですよ。せっかくの教育学部なんだからプライドを持とう。先輩教員として、彼らにできるだけのことをしよう。
おわり
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