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治癒的関係とは?(『心的外傷と回復』より) [2001 千葉大学3年]

☆何人とは言えども、単独で外傷と対決することはできない。治療者が臨床実践において孤独を自覚したならば、適切十分なサポートシステムを得るまでは外傷患者の治療を中止すべきである。

・・・我々を治療者、子ども達を外傷患者と置きかえる。確かに、一人では虐待経験のある子どもには太刀打ちできない。とてつもない無力感、敗北感を与えてくれる。やっぱし父さんの言う通り、学生ふぜいのやる仕事ではないのかもなぁ。

☆生存者に関わる治療者はまた、自分自身との絶えざる戦いにも関わっているのであり、この戦いにおける味方は他者であって、他者の助けに頼って自分の対処能力の最も成熟した部分を動員しなければならない。
・・・うちの児相では指導員がペアで入る。3人で3人の長所が出せることが最大の長所であり、好きな部分である。チームプレーは大事です。ハイ。全てを背負わなくてもいいし。

☆治療に深い関わりを持つ治療者は、自己自身及び患者に絶えず総合力を育てるように努めているうちに、自分自身の人格の総合性を高める結果となる。基本的信頼が人生の最初期における発達においてかちうるものの代表だとすれば、人格の総合性(integrity)とは成熟期における発達においてかちうるものの代表である。

・・・上に書いてあったようなことが集まれば、そりゃ総合性もアップするでしょう。自分には当たり前なものを、欠けているものとして強烈に求めてくる。そんな子ども達から、たくさんのことを学ばせてもらっています。いいことだ。ウンウン。

☆(患者と)関わることの報酬は人生が豊かになったという感覚である。生存者の治療に携わる治療者は携わる以前よりも人生の評価が幅広くなり、人生を大切に思うようになり、他者を理解する視野が広くなり、新しい友情を結び、親密関係が深くなり、日々患者が示してくれる勇気と決断と諦念と希望の実例によって鼓舞されている感じがすると異口同音に語っている。
・・・あと、一生のテーマになりそうな命題も与えてくれます。例えば、「僕の家では、お父さんが家にいて、お母さんが働いているんだよ。」とか。この問いにどういう反応をするべきなのか、オレにはまだわからない。それにしても、「児相で働いて、いろんな勉強になっている」っていう一言で終われないようなことがあるね。仲間に恵まれ、家族を大切に思えるようになり、将来へのクリアなビジョンを与えてくれた。ありがとう。

☆人格の統合性とは、死に直面しても人生の価値を肯定しうる能力であり、自己の人生の限界の有限性と人間の条件の悲劇的限界と和解する能力であり、絶望なくして現実がそういうものであることを受容する能力である。人格の統合性は対人関係における信頼をそもそもの上に作った土台であるが、一旦砕かれた信頼を取り戻す土台でもある。ケア提供的な関係における人格の統合性と信頼との緊密な相互関係は、世代から世代へと引き継がれる鎖の輪のつながりを完全なもにし、外傷が破壊する人間のコミュニティ感覚を再生させるものである。

・・・ここでは、我々は子どもからもらったものをそのままフィードバックさせることができると言うことが書いてある。相互依存的と言いますか。オレが児相で働き始めたときに言われた「何も気負うことはない。将来、こんな大人になれたらいいなぁと、子どもに思ってもらうことがあなたの仕事だよ」ということ。それはオレが子どもに与えるのではなく、お互いのキャッチボールのようなものとして成立するんだなぁと、こんな小難しい本を読んで実感しました。
 


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